「神に奉納する」ということ

こんにちは。皇木咲箭です^^☆

すっかり秋の気配ですね^^肌寒いほどです。

先日、舅から今秋収穫したてのお米が送られてきました^^

舅が稲作をする地域では、その昔食用に輸入されて結局は叶わずに放たれたジャンボタニシが繁殖しており、その他外来種の植物から虫などの動物に至るまで、その繁殖による害は大変大きく、生活のために強い農薬を使うことがスタンダードです。

その中でも、出来る限りは共存を目指そうと、舅の田んぼは減農薬で手をかけています。
ですので、他の田んぼから逃げてきたジャンボタニシや亀や・・・なんか色々(笑)な生き物たちの駆け込み寺状態。^^笑

子供を連れて行くと、カエルさんが遊んでくれたり、生き物たちも嬉しそうだったりします^^

その舅の田んぼで無事に収穫できたお米を、先日、御神前へお供えさせていただきました☆

・・・・しかし、例年とは違い、天照大神から返ってきたのは意外なお返事でした。。。

目次

天照大神からのお返事

「他の生き物たちを苦しめて、何が【収穫】なのじゃ・・・?

私が人間に託した稲作は、すべての生き物が傷つけ合わずして生きていけるための稲作じゃ・・・

人間本位な考えを、人間はいい加減に改めよ。

もっと地に足をつけた考え方をせよ・・・目に見えるものだけが答えではない。

すべての人、すべての命には、それぞれ考えがあるのじゃ。

期待しておるぞ。

受け手によっては、大変厳しいご指摘に感じられるかも知れません。

しかし、これは親心そのものであると、念の為に補足させていただきます^^

託された稲作

皆様は、【斎庭(ゆにわ)稲穂の神勅】というものをご存知でしょうか?

天孫降臨の際に、天照大神から天孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に下された三大神勅の一つで、三大神勅とは、

☆天壌無窮の神勅 – 葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。

宝鏡奉斎の神勅 – 吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎の鏡となすべし。

斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅 – 吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。

というもの。

【斎庭(ゆにわ)稲穂の神勅】では、地上に生きる民が、食べることに困らないように、また食べるために他の命を犠牲にせずに済むように、一粒万倍の実りとなる稲を授けました。

稲作は、水の豊かな国だからこそできるものです。

それに加えて、日照や、潮風が運ぶミネラルや、雨、地中を這い耕す虫たち、、、それらの自然界の恵みがあってこそ豊かな稔りを迎えることのできるものなのですよね。^^

万物との共同作業としても、感謝を忘れずに暮らしていける稲作は、日本人の精神性には掛け替えのないものです。

そして、稲は捨てるところがありません。

☆藁は注連縄にしたり、屋根や草鞋などを作れます。
☆籾殻は肥料になります。
☆糠はぬか床にしたり美容にも使えます。
☆米は玄米で食べれば、栄養価はものすごく高いです。

すべて有効に使い切ることにも、神から授かったという意識は受け継がれてまいりました。

田んぼには、たくさんの生き物が集います。カエルやヒル、タニシ、藻、カメムシ、ウンカ、野鳥、今は外来種のジャンボタニシやミドリガメなども生息しますが、全てを食い荒らすことはありません。

この生き物はこれだけの分を食すのだということがわかっていれば、余分に作っておくこともできます。
また、他の生き物が食べてしまった苗の箇所の水溜りには、野鳥などが憩いの場所として夏の暑さを凌ぐこともできます^^

人間は、稲作そのものだけでなく、稲作を通して【すべての生き物のための生産】というものを託されたのだと私は感じています。

人間が知恵を授かっている理由もここに繋がっていると思います。

私たちが神から託されたのは、単に人間の食べ物を育てることではなく、すべての存在と共存する知恵であるのです。

神々から人間へ期待されているもの。
それは、共存の知恵。人間同士が手を取り合い、如何に他の存在へ慈愛の精神を向けて知恵を出し合えるか。ということでもあります。

私たち人類は、神々から託された知恵道具身体という【神器】をどう扱っていけば良いのか。
真摯に向き合うべき時は既に来ています。

奉納とは、命の営みの輝きを感謝として捧げること

今回、天照大神からのメッセージで学んだのは、奉納の本質でした。

今まで、新米を奉納するにあたって、私は「万物の恵みがあってお蔭様で今年も無事に収穫できたことへの感謝をこめるもの」と思っていました。

もちろん、間違いではありません。それも心の真です^^

しかし、神々はお米が欲しいというわけではないのです。
人間が、自分たちの命の営むにあたり、万物に対してどのような精神で向き合い行動してきたか
その親心から期待を寄せて、それぞれの歳(語源は1年間の稔りを指す)を、慈愛をもって受け取られるのです。

お米だけではありません。

例えば、お神楽などもそうです。お神楽を舞うことは、実は喜びの体現でもあるからです。
自分自身が、命に対してどうあったかが凝縮して表現され、奉納されます。

私は、年の初めに、「万物と共にあり、皆が喜びを分かち合う世界の創造をしていきたい」と目標を立てました。

その目標あってこその、天照大神からの励ましであったのだと思います☆

こんなにも寄り添い見守り励ましてくださり、時にお叱りをいただけることは、本当にありがたく嬉しいことです。

人間らしさの本質

人類の営みは、人類だけのものではありません。

万物は、絶えずお互いに影響し合っているのです。

また、人間は知恵と身体と道具という【神器】を託された存在です。

すべての存在が、尊厳を守り合い共存していけるように、今の人類には大きな意識改革が早急に必要であると思っています。

人間中心に考えて想像する世界は、自滅の世界でしかありません。
なぜなら、私たち人間の暮らしは、この星の豊かな資源無くしては絶対に成り立たないからです。

失ってから気づくのでは遅いのです・・・。

人間が、人間らしく生きるとはどういうことなのか?
人間としての真の喜び・幸せとは何なのか?

それらと、これからも向き合っていきたいと思います^^

今回は、奉納による学びの話でした^^
奉納と稲作をきっかけに、【人間らしい営みとは何か】を改めて考える機会をいただきました。


舅は舅の最善を尽くして、毎年心を込めて田んぼの世話をしています。
特に孫に恵まれてからは、今まで仕方なくしていた小さな生き物の殺生も自然としなくなりました。

心から尊敬しておりますし、私の理想の稲作を舅に押し付けるつもりは全くなく、もし、跡を継ぐことが許されたならこの手でその理想を叶えていきたいと思っています^^


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

皆々様、時節柄、どうかご自愛くださいませ^^☆
暖かくしてお過ごしくださいね。

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