何から書こうかな^^?
本業の合間に、そんなことを思っていると、筆が進まないまま随分時間が経っていました。笑
それでは、手始めに、ゼウス神の話をしようと思います^^
ゼウス神との出逢い
幼少期、生まれる前の記憶や能力が残っていて、大人の言葉とは裏腹な心の声が聞こえるたびに愛情からの深い悲しみを抱え、毎日のように「もう帰りたい」と思っていました。
その度に、ゼウス神は舞い降りてきてくださり、赤ちゃんの頃から変わらず私を抱っこして微笑みかけてくれました。
神の愛とはすごいもので、悲しみは跡形もなく心から消え去ります。それから、希望の光を胸に灯して、「生きなさい」そう言って星空の向こうにお帰りになる。そんな日々を繰り返し、命を繋いでもらってきました。
その頃はまだ、夜空を見れば、この宇宙で何が起きていて何が起こるのかを脳内のスクリーンが鮮明に映し出していました。
それが、砂が指の間をすり抜けるように失われたのは、ちょうど小学校入学直前の頃でした。
その頃に、ゼウス神が来てくださることもなくなりました。
きっと、小学生という次なるステージへ進んだからなのですね^^
ゼウス神との絆と再会
小学生ともなると、本格的に自分で何かを学び、知的探求が始まりました。
自己が芽生え、身体から派生する煩悩や魂の神性との葛藤の中で、自分らしさを見いだす旅が始まったのです。
ゼウス神のことは忘れてなどいません。毎日のように会いたくてたまりませんでした。
小学校生活にも慣れたある日、母が突然私に本をプレゼントしてくれました。
児童用の「ギリシア神話」でした。
何気なく裏表紙をみると、そこにはゼウス神のイラストがありました。
実は、この時まで、私を助けに来てくださっていた神様のお名前を存じ上げなかったのです。笑
そのとき、母に「この神様!この神様、なんていう神様?!」と問いかけて教えてもらって、やっとゼウス神だと知ったのです。
小学生だった私は、その本を抱きしめて大泣きしました^^
なんだか、「ずっとそばにいるんだよ^^」と言われているように感じたのです。
それからは心強さを手にして、たくましく育っていきました。笑
大人になって、精神次元が4次元に入ろうとする頃、突然ゼウス神が舞い降りました。
もうあの頃とは違い、大人同士ですから、ニコニコ^^という感じではありませんでしたが(すごい威厳でちょっとびびる。笑)、私へとメッセージを託してくださいました。
ゼウス神から人類へのメッセージ
重い世界(アッシャー界/物質界)に足を取られることなかれ。
貴方がたは貴方がたが思うより、もっともっと自由な存在なのだ。
さあ、その足をそっと引き抜いてごらん。
・・・驚くほど簡単に抜けたろう^^笑
自由とはそういうものだ(思い込むのも、解放されるのも)。
今、貴方はどこにいて
そこから何が見える?
貴方は何に心躍る?
何を、創造する?
何をもって創造する?
私は貴方を愛している。
(魂が)生まれてから、(貴方がたが未だ知らぬ)あなたのすべて
そのずっと向こう
ずっと近く(何億万年以上の静止画の帯を手中で広げながら)
愛の中ですべてを知るがよい。
貴方がた(意思を持つ命)の「特権」なのだから(※冗談めかした感じで)。
私へのメッセージ
恐れ多くも、私個人へも引き続いてメッセージを頂戴していました。
遠い昔、抱いた胸の中から見せた世界。
君は覚えているだろう。
覚えているはずだ。
あの時の彼ら(すべての命、地球人類を指す聞き慣れない名称)への揺るがぬ信頼と尊敬。
深淵なる慈愛。
君がここへ来て築こうとした世界は、
私も心から望み、期待する世界だ。
その世界はもう、この先で芽が出るときを待っているのだよ。
君が何を想像し
何をもたらすか
楽しみにしている。
いつも、愛しているよ。
大好きなゼウス神が、長い年月、姿は見せてくださらずとも、ずっと見守ってくださっていたことが何より嬉しく感じた瞬間でした。
ちなみに、ゼウス神は、初代のキリストでもあります。有名なキリストは弟達(双子)の方ですが。。。
そうです、キリストは3人います。^^私は二番目のキリストをジーザスと呼んでいますが、今でも、いつも側にいらしてくださいます。
ちなみに宗教は人類が勝手に作ったものであり、キリストを含めあらゆる神仏は宗教を越えた存在です。
ですので、宗教という概念の枠は外してお読みくだされば幸いです^^
三人の「キリスト」は、ものすご〜く科学の発展したティアウーバ星から地球人類を救いに来てくださった神々で、ゼウス神は今は宇宙の父となられています^^
ゼウス神は、お話しした感じですと、すごい威厳がありながら、ジョークも大好きなのですね!笑笑笑
神の愛は、雨のように
いかがでしょう。
ゼウス神が少し身近に感じられましたか?
「私には見えないから」「私には聞こえないから」やはりそう感じられるお方もいらっしゃるかもしれません。
神の愛はいつも平等です。感じようと、感じまいと、信じようと、信じまいと、同じだけ降り注いでいます。
しかし、雨水も手で器を作らないと受け取れないように、神の愛も同じ。
受け取る受け取らないは自分次第。喜ぶ喜ばないも自分次第なのです。
神はいつも見守っています。すべての命を信じ、霊的成長を願い、時には励まし、時には叱りながら、何よりも誰よりも深い慈愛を施してくださっています。
みなさまも、何だか気になる神様、何だか良く見かける神様の名前など、お心当たりはありませんか?^^
それは神様が「ここだよ〜^^いつも見守っているよ〜^^」と呼びかけてくださっていたり、神様との絆ゆえに起こる事象なのです^^
生きている以上は、無関係なお人は誰一人いらっしゃいませんから、是非、 “偶然” や “気のせい” で済まさずに、気になった時はどのような神様か調べてみるのも、楽しいと思います^^
宇宙というのは、緻密で、完璧で、【偶然というものは一切存在しない】のですからね^^☆
最後までお読みくださって、ありがとうございます^^
それでは、またお会いしましょう♡