ありのままの自分で生きる〜真我に出会う旅1〜

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朱に交われば赤くなる

ありのままの自分。

人は絶えず、何かのグループの中で、何かや誰かに合わせた思考や感性で生きています。
完全なありのままは、きっとすごく難しいものですね。

似通った思考や感性、理想の世界。そういうものと出会うと、誰もが嬉しくなりますし、人は繋がりを求める生き物ですから、心を許せる場所や人が見つかれば、その輪へ飛び込みたくなるものです。

それ自体は、とても素晴らしいことです。

しかし、人に合わせすぎてしまう人や、依存傾向にある人は、ありのままの自分とは少しずれた自分自身を生きることに繋がり、真綿で首を絞めるように自覚のない苦痛を伴います。
私も、人に合わせすぎてしまう節があり、その性格が自分を苦しめていることに気がつき、一旦離れてみることを決意しました。

日常の疲弊もありますが、今、ありのままの自分で生き始めないと、心が壊れてしまうだろう・・・というところまで疲れ切ってしまったのです。

朱に交われば赤くなる。知らず識らずのうちに、自分を図る物差しが心に生まれるのは、とても窮屈で苦しいものです。
自信がなくなるような偏った物差しなら、潔く手放してしまいましょう🍀

どこにも所属しない自分という生き方

何にも何処にも所属しない自分は、今日この時を、どんな風に感じるのでしょうか。
思考や感性への干渉やジャッジを誰からも何からも受けないで感じるこの世界は、どういうものなのでしょうか。

自由に感じ、自由に考え、自由にやってみたい。
その時々で違った自分を、受け入れながら、ありのままの自分がどこにいるのかを感じてみたい。
そう思うと、弱音も吐き出せずに無理やりの笑顔で追い込まれていた心も、少し軽くなりました。

自分らしく生きることをしっかりと見つめ直して、それから、ありのままの自分でいられる場所や人とつながり直したい。
今は、そう思っています。
人生には、出逢いと別れとが付き物ですが、それらの核は自分自身との出逢いと別れです。
誰にも何にも振り回されることなく、その出逢いと別れを見つめ直してみると、当然ながら感謝しか残らないことに気がつきます。

私と出逢ってくれてありがとう。人生の師たちと友たち。
そんなことを、離れてやっと思うのです。

自分というものは、自分が思うよりももっともっと、物差しでなんて測れないくらい、型になんてはめられないくらい大きな容積をしていることにも、気がつきました。

手を取り合う個

ありのままの自分を、もっともっと尊べたら、差し出す手にはきっと形がなくなって、お互いがお互いであるこだわりも意味もなくなって、もっと寛容で自由でいられるのではないかと想像を巡らせます。

自分の隣は誰でも良くて、どんなことを感じていてもどっちを向いていても構わない。
取り合った手はどこまでも自由に形を変えて、また、いつでも離してもいい。

もっともっと遥か遠くで、私たちは揺るぎない信頼と敬愛の元に存在しているから、何も心配しなくて良いのです。

より多くの人が、全ての人が、ありのままの自分を何よりも尊び、喜び、魂の輝きのままに生きられますように。

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