ありのままの自分と出会う旅が始まりました^^✨
さて、ありのままの自分はどこにいるのでしょうか^^
素敵な冒険は続きます。
裸になる
まず、少しずつ服を脱いで、手放していきます。
あ、待って!実際の服は着たままにしましょう。いや、別に私は構わないのですが・・・もう肌寒いですからね^^笑
ちょっと古めの冗談を飛ばしてしまい申し訳ございません。さ、気を取り直して。笑
イメージの中で、服を一枚ずつ脱いでいきます。何枚着ているかは気にせずに、玉ねぎやキャベツを剥くように、ずっとずっとです。アクセサリーなんかも外していきましょう。
今まで、自分を「そのように見せていたもの」を手にとって、手放します。
常識や良識、自分を決めつけていたもの、自分をジャッジしていたものを全て。
心に刻まれた誰かの考えや、言葉、そんなものも。
全部全部です。
こわいですね。何もなくなったらどうしよう・・・と、ふと不安がよぎりますよね。
自分から何もなくなるようで、何を指針にすれば良いのかと、あんなに自由になりたかったはずの心にブロックがかかりませんか?
大丈夫^^🌸何も心配いりません。
私たちの本体は、魂です。魂が、私たちのすべきことの全てを知っています。自分からどれだけ剥ぎ取っても、どれだけ手放しても、魂だけはなくなりません🌸何もないどころか、唯一無二の輝きを放つ自分に出会えるはずです。服は、その核心からの輝きを遮り覆い隠したり、屈折させるものでもあります。だから、安心して、すべて脱いでいきましょう🍀
なかなかなれない裸
ところが、どんなに脱いでは手放しても、私たちはなかなか素っ裸にはなれません。
「あれ?これ、本当に私かな?何かほんの少しだけど違和感があるな・・・」と、気が付いた時で大丈夫です。
脱ぐのが難しい服は時間をかけて、自分自身なのか偽りなのかを判断していきましょう^^
脱いだものを見つめてみると、いつからか私だと思い込んでいたものが、私のふりをした偽りの抜け殻のようにも見えてくるので不思議です。
私は、私の偽物に人生の舵を取らせていたのだろうか・・・と、なんだか可笑しくなってきて、軽くなっていく心も相まって笑いがこみ上げます^^笑
さて、次はどんな偽りがあるでしょう?^^
自分を剥いていくのが少し楽しみになってきましたね。笑
私は私自身と出会えるのを、首を長くして待っています。
きっと、私自身も、それ以上に待ち遠しく感じているのかもしれません^^
いつか、ありのままの素っ裸にまでなれた生っ粋の自分が「これだ・・・」と選んだ衣を身に纏い、相応しい装飾をし、髪を心のままに結うのが、とても楽しみです。
深く深く、落ち着いていく呼吸
人は、心に無理があると、どうしても呼吸が乱れます。
ストレスの度合いでわかりやすく乱れることもありますが、大抵の場合、気づかないうちに浅く早くなっていきます。
服を脱いでいくたび、自然と呼吸が深く長くなっているのに気がつきます。
「こわい」と感じていたとしても、深層ではリラックスしていっているのがわかります。
自分から余分なものを剥いでいくだけで、心の消費は少なくなっていく・・・ということでしょうか。
そして、微笑む身体
服を脱ぐたび、呼吸が深くなるたび、顔が勝手に微笑みを湛えます^^🌸✨
魂つまり私たち自身にとって、生かされ生きるというこの時は、とてつもない喜びの瞬間なのだと、魂からの声が身体に届いてきます。
身体も共鳴するように、呼吸から元気を取り戻してくれます。
こんなに嬉しいことはありません。
あなたも神と同じ
どんなに有名な人の意見も、どんな偉人の言葉も、どんなに素晴らしい人格者のアドバイスも、あなたのそれらと対等です。
肩書きや権力に、一人一人の存在の尊さや重さは左右されません。
もちろん他の人の意見も大切ですが、最終的にあなたのことは、あなたに決める権利と義務とがあります。
善悪ではなく、常識でもなく、あなたのことはあなたが決めます。
「私のことは、私が決める」と心に決めておきます。
参考にするアドバイスも、魂が自由に選ぶのです。
ということは、「その人のことは、その人が決めること」ということでもあります。
つまり、その人の決めたことに、他の人のジャッジは必要ないということでもあります。
自分自身が身軽になれたように、誰もにその権利があります。
チームの場合には、そのそれぞれの思いや考えをきちんと出し合って、皆が納得するように話し合います。
次元の差も、理解の差も、それは比較によって生じる価値観に過ぎず、それぞれの人生の経験の尊さや重さは等しいということは決して揺らぐことのない真実です。
私たちは、誰もが唯一無二の輝きを持つ存在にして、唯一無二の体験を重ねて、ありのままの自分と出会うための旅路をそしてありのままの自分をより遠くまで照り輝かせる旅路を歩んでいます。誰もが神と同じ。ありのままの自分は、皆、創造主の欠片そのもの、神だからです。
連綿とつながっていく旅路
ありのままの自分と出会う旅路は、多くの人にとって新たなる旅路なのかも知れません。
しかし、新たなる旅路は、これまでの経験の何一つ欠けても描くことのできなかった未来です。
新たなる旅路はいつも、連綿とつながっていく旅路の展望台のような場所で感じる、人生の一つの節目であるのかも知れません。
全ての人が、ありのままの自分にいつか出会い、すべての人生が掛け替えのない喜びであふれていますように、心から願い、祈っています。
すべての生命へ、そして・・・創造主へ。愛を込めて。
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