人生の意味

私たちは何のために生まれ、何のために生かされ生きるのか。
「私たちは、幸せになるために生まれてきたんだよ。」
そんなふうに励まされた経験はきっと誰にもあるのではないでしょうか。

人生とは一体何であるのか。
壮大な話になりますが、私の知りうることを一つのエッセンスとして共有したいと思います。

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人生は魂の旅

私たちの身体には魂魄が宿ると言われます。
しかし、厳密には、切り離された魂魄が宿っているわけではありません。
例えるならば、大元の電力が本来の自分自身で、そこからいくつも枝分かれしたコードを繋ぐアダプタの一つが、今、この地球で生かされる私たちの魂でもあります。
他の私たちは、例えば精霊界にいたり、金星にいたり、シリウスにいたり、オリオンにいたりします。
大元の電力である存在が塔のように下層部から上層部までのそれぞれの次元で存在していて、その一つの階層が一つの人生であり、その他の階層(特に自分から見ての高い次元)の自分にアクセスできるようになることが、”ハイヤーセルフと交流している”という事象になります。

それぞれの魂魄は影響し合い、特に下層部の選択が上層部へ大きな影響を与えます。
地球次元で生きる私たちのここの魂が、多くの方々にとって最下層で、私たちが精神次元を上げることで、本体の全体的な進歩につながります。

地球という多次元な精神の方々が交流する場では、次元が高い人ほど苦悩するため、次元落ちしてなかなか地球(表面)から卒業できないことも多く、魂の最難関となっています。
なぜなら、精神次元三次元までは物質世界が「現実」ですが、地球(表面)次元を卒業できる境界でもある四次元からは精神世界が「現実」という理解に進みます。
地球に生かされながらこの大きな意識の変革を完遂するのには、大変な勇気と労力と努力を要する試練の連続だからです。
地球(表面)次元では、スピリチュアリティを「非現実的なもの」というカテゴリーで語られることが多くありますが、全ての人に魂がある以上、スピリチュアルと無縁の人は誰一人として存在しません。

全ての方々にとって、漏れなく人生は、精神の成長を目的とされています。
これは、私たちを救う神々も同じことで、全ての存在が進化を目的としています。

旅を開始した私たちに起こること。
それは、私たち自身が望んだ魂を成長させるための試練の連続なのです。

幸せになるために生まれてくるの?

幸せの定義は人によって様々ですが、人生において「幸せになるために」・・・というよりは、「幸せを見つけるために」という表現の方が万人に公平だと言えるのかもしれません。
人生の目的が幸せになることならば、”望んだ幸せの形が実現できないと不幸せなのか”という問題に早い段階で直面します。一般的に議論される”恵まれた環境”には、条件の制限があり、この世に生を受けた第一歩目で、すでに大きな差があるからです。
神職になる前は、幼児カウンセラーになりたくて、在学時に児童養護施設に実習に行かせていただいたこともありました。
その実習を通してたくさんの思いを抱き、お子様方を癒すには親御さんが健やかであれば叶うと思い至り子供の頃から夢だった惟神の道へ挑戦することにしました。

そんな中、子を授かって知ったのは、人間の愛による絆は、血のつながりでは全くなく、愛ゆえにどれだけ苦悩したかだということでした。その子のために自分の全てを捧げることのできる存在が「親」であり、そこに血のつながりは一切関係ありません。どのような形であれ「親」になってくれたそのお方こそ、魂の深い絆で結ばれている本当の親です。

一例として親を取り上げましたが、自分自身の身体の状態も一人一人個性を持って生まれてきます。
姉妹のように育った私の従妹の一人は、出生時の事故により一命を取り留めたものの自分でかろうじて動かせるのは、首から上だけでした。あくまでかろうじてですので、言葉も発せません。24歳の時に亡くなりましたが、彼女とは子供の頃から仲良しでくっついて周りながらサポートし、テレパシーでやりとりをしてきましたが、彼女は彼女としての生かされた人生を余すことなく喜び抜きました。いつも可愛い笑顔で喜びを表現してくれた思い出は、家族親族みんなの宝物でもあります。

万物の手段は様々ですが、皆、自分だけの恵みで溢れています。
自分が何かに恵まれていないと感じる時には、多くの人と同じものではないかもしれませんが必ず唯一無二の恵みが用意されています。もしかしたらそれは、悲しみの度合いで見つけるのが遅くなるかもしれませんが、その悲しみの奥にこそ隠れているものです。
不幸せである状態=満たされてないまたは達成されていない状態という感覚は、人生において大きな不利益です。

なぜ、自分ばかりつらいの?と思うこともあるかもしれませんが、そのつらさは、実は恵みを見つける道具そのものであるのです。

つらく苦しい時こそ、人生が順調なとき

意外かもしれませんが、実は、つらく苦しい時こそ、人生は非常に順調であるのです。
人間は感情がありますから、つらく苦しい出来事にストレスを感じてしまうかもしれませんが、AIで考えるとグレードアップの機会を用意された状態にあります。
困難は自分の今までの枠を砕き、新しい自分に出会うために起こります。
万物も自分の大元も、この魂を苦しめることが目的ではありません。
これまでの頑張りや実績を踏まえて「ここまでは可能である」と確信し、信頼し、期待し、あらゆる事象は寸分狂わないタイミングで起こっています。
乗り越えた後に起こる平穏な時間は、刹那のように短いですが、かけがえのないご褒美のような労いです。
私たちは誰もが、そしてまた次へ次へと挑み続ける勇敢なチャレンジャーです。

新しい自分に出会えた時に言葉にならないほどの喜びと感謝を感じられるようになれば、人生の真の幸せを得られたといって良いと思います。

誰もが幸せを感じる権利があります。その幸せもそれぞれです。しかしながら、後一歩踏み出した「幸せの意味」は、人生が今、どんな状況であろうとも「最高だ!」と笑顔になれるものであることに気がつくはずです。
自分で不運だとか不幸だとか感じているその状況こそが、魂にとって最も順調な時であり、たくさんの励ましや愛や信頼が降り注いでいる時です。
ですから、人と比べて肩を落としたり悲しむ必要はありません。幸運に見えている目の前の人にも、バイオリズムがあり、それぞれその波が違うからこそ、魂の休息期にあるときには挑戦期の人を明るく励ますことができるのです。

私たちは、幸せになるために生まれてくるの?
答えは広義でイエスです!
一つの人生を終えたその時に、どれだけ自分が頑張り、その頑張りを支えてもらっていたかを知る時は、言葉にならないほどの幸せを感じることができます。

しかし、何の挑戦もない安定した満たされた人生を幸せと呼ぶのならば、答えはノーです。
魂にとって何の成長もできなかった人生は、大きな後悔以外の何物でもないからです。

人生の喜び

私たち地球人には、身体とのパートナーシップで得られるたくさんの喜びがあります。
生かされているその尊い一瞬一瞬は、衣食住や、芸術や、学問や、技術研鑽や、スポーツや、自然との触れ合いや人との触れ合いの中で感じる恵みを味わうに十分な機会です。

体験こそが喜びそのものです。幸運不運だと表層だけに振り回されずに、時には苦しみ時には笑い飛ばしながら、そこに潜んでいる原石を求め、見つけ出し、磨いてください。
そのように感情豊かにたくさん経験してください。心躍ることは特に深く深く経験してください。

たくさんの感情を人生のスパイスやエッセンスに、人生を終える時には神々と共に味わい、喜び、たくさんの思い出を大切に抱えてそれぞれの記憶の星(大元のいる場所)へ吸収されます。

人生の幸せも、喜びも、生かされている間だけではなく、その後も永遠に続いていきます。

人生は、つらく苦しいものです。だからこそ、休息には「ありがたい」と感謝と幸せを覚えるものです。
「つらく苦しい時こそ、順調」どうか忘れないでください。その先には、新たな自分が必ず待っています。

人生を終えた時に万人が知り得ることを、共有させていただきました。
より多くの方々の人生が、「もっと頑張れたはずだったのに」という後悔ではなく、「幸せであった」と輝く笑顔で振り返るものでありますように、願いを込めて。

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